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ヘルシーレシピHealthy recipe

横浜開港祭
メニュー紹介
  • 関西風すき焼き
  • 卵豆腐
  • 夏野菜の酢漬け
  • 手作りアイスクリーム
  • ご飯













 7月に入り、今年も連日の猛暑が予想されます。熱中症にならないように、在宅中でも時間を決めて小まめに水分補給を行いましょう。就寝中、特に朝方に足がつる人は水分不足が原因の場合もあります。

手軽に作れる手作り【熱中症対策ドリンク】の材料
水:1リットル
塩:12g
空腹でエネルギー不足の方は砂糖50
味のお好みで果汁を加える




今月は689日に、臨港パーク界隈で開かれた横浜開港祭の様子をご紹介します。
開港祭は、今年で32回目を迎えるお祭りです!

開港記念日の由来
最初に調印された日米修好通商条約では185974日に開港することになっていましたが、アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5カ国すべてに対して陽暦71日(現在の62日)に開港されることになりました。もともと神奈川が開港の候補地とされていましたが、取締りしやすい横浜の地が選ばれ、開港1周年にあたる万延元年62日に山車や手踊りで街中あげて開港を祝ったのが開港記念日の始まりです。


メイン会場である臨港パークに入ると横浜開港祭と描かれた花のアーチで出迎えられます。早い時間にも関わらず、夜の花火を心待ちにしている方が大勢レジャーシートを敷いて待っていました。

各店舗から「海・港・開港の歴史・横浜」をテーマとたスウィーツが出品され、その中から市民の投票によりグランプリを決める「スウィーツパラダイス」が開催されていました。
結果は・・・
グランプリ:フランス菓子フロランタン「ポアソン・ルージュ」
2位:パティスリーブランフルーヴ「横浜船舵シュー」
3位:欧風菓子フリアンドール「MM21
出品されたスウィーツを男女問わず購入する姿が印象的でした。

また、会場の至る所にゴミ分別エコステーションが設置され、ゴミの分別にも積極的に取り組まれていました。開港祭で出たゴミの再利用を目的とし、ゴミを9つに仕訳して回収することで、高い資源化率でのゴミ再生をめざしています。


また、ぷかり桟橋では、東北復興支援イベント「三陸沖に瀬谷丸を!」として、横浜市瀬谷区の有志の呼びかけによって岩手県大槌町への寄贈が実現する瀬谷丸のお披露目もありました。



臨港パーク会場から進港埠頭へ移動し、新港ふ頭客船ターミナルでは、自衛隊護衛艦「やまぎり」の一般公開が行われていました。


自衛隊隊員は時刻(起床時刻や食事時刻など)や業務内容をトランペットの音色で伝えるそうです。よく見るとマウスピース部分で音階を吹分けるんですよ。見本演奏を聴いていて、吹奏楽部出身の私としては凄い!の一言に尽きました。




横浜発祥のあれこれ 

安政6年6月2日(185971日)外国貿易のために横浜の町と港が開かれました。
貿易に従事する外国人のために開かれる街のことを居留地といい、翌年初頭頃から居留地の街づくりが本格化し、横浜に西洋の小都市を思わせる街ができあがります。居留地を通じての西洋文化の吸収、それが「もののはじめ(横浜編)」の諸事情です。
横浜発祥のいくつかを紹介します。


ガス灯から電灯へ

 明治3年、フランス人技師プレグランの指導のもとに高島嘉右衛門のガス会社が伊勢山下にガス工場を建設。明治5年9月29日、大江橋から馬車道、本町通りにかけて、日本最初のガス灯が点灯されました。
 電灯は明治11年3月25日、工部大学校で英国人教師エアトンの指導によりアーク灯が点火されたのが最初で、その日が電気dayになりました。

電信・電話

明治2年8月に横浜灯明台役所と横浜裁判所間に電信線が架設され、官用通信が実施されました。これが日本最初の実用通信です。9月19日には横浜裁判所内に電信機役所が設置され、東京電信局までの架線架設工事が行われました。この日が電信電話記念日に定められました。

病院

安政6年(1859年)10月、ダッカン医師が開業した「神奈川ホスピタル」が病院の第一号で、当時、約30名の患者を収容できる施設でした。

野球

明治4年、居留外国人チームとアメリカ軍艦コロラド号の水兵チームとで行われた試合が、日本で最初の野球の試合です。

テニス

明治9年、居留地の外国人女性達によりテニスクラブが作られ、山下公園にコートが設けられましたが、ネットの高さやコートの広さも自由でした。11年に山下公園にテニスコートがつくられてから近代的なテニスが行われるようになりました。

牛鍋

居留地内で食肉処理が行われたのは万延元年(1860年)。2年後の文久2年(1862)には入船町の居酒屋の伊勢熊という人が店の半分を仕切って牛鍋屋を開店。
慶応元年(1865年)には、高橋音松が吉田新田の堤で牛肉の串焼きの屋台を始め、その後、末吉町にて「醤油と味噌とを素とした一種のタレ」と鉄鍋による料理法を考案しました。この店が「太田縄暖簾(おおたなわのれん」」の名で知られる現役最古参の牛鍋屋です。

アイスクリーム

横浜開港の翌年、幕府が派遣した使節団がアメリカでアイスクリームを食べたのが最初で、以後、明治2年日本最初のアイスクリームが横浜で作られました。

咸臨丸で渡米した勝海舟に私淑した町田房蔵は明治26月、横浜馬車道通りで氷と塩を用いて日本で初めてのアイスクリーム「あいすくりん」の製造販売を始めました。しかし、当時、アイスクリームは25銭と庶民には高嶺の花の贅沢品でした。

○アイスクリーム類の分類
アイスクリーム類は含まれる乳成分の分量によって3つに分類されます。
種類別名称 乳固形分 乳固形分中の乳脂肪分
アイスクリーム 15%以上 8%以上
アイスミルク 10%以上 3%以上
ラクトアイス 3%以上
(資料:日本乳業協会)

アイスクリーム:乳固形分15%以上、うち乳脂肪分を8%以上含むと規定され、乳脂肪以外の食用油脂を添加してはいけないため、風味が良く栄養的にも優れる。
アイスミルク:乳固形分10%以上、うち乳脂肪分を3%以上含むと規定され、植物性油脂が配合されているものもある。
ラクトアイス:乳固形分3%以上と規定され、植物性油脂が多く使用されている。
*ソフトクリームは各種類別の製品を硬化せず半流動体のまま販売されるものである。また、果汁などを凍らせたアイスキャンディーやシャーベットなどは氷菓と表示され、乳成分の規定は定められていない。


参考
新ビジュアル食品成分表:鈴木一
・食材図典T&U:小学館
・新調理実習:関西調理研究会
・続横浜もののはじめ物語:はまぎん産業文化振興財団